東京メールの歩み
昭和20年 8 月 
株式会社資源社設立
戦後すぐに東京メールの前身が現在の東京都府中市で宛名印刷用原紙製造を始めました。
昭和26年10月 
東京都日本橋蛎殻町に本社移転
宛名印刷機や宛名カードの販売を行うかたわら証券会社などの宛名作成業務を受託開始。現在の業務の礎を築きました。
昭和35年 9 月 
東京メール誕生
急速に伸びる発送代行業務に対応するために、メーリング事業を分離独立《有限会社東京メール》設立。本社は日本橋の資源社内に置き工場を世田谷区梅が丘に設けました。
昭和38年 4 月 
世田谷区赤堤に本社及び工場移転
東京オリンピックを翌年にひかえ好景気なこの年、完全に資源社から一人立ちし本社・工場を移転しました。
昭和43年 4 月 
ラベリングマシーン導入
宛名カードによる宛名印刷業務から、コンピューター出力された宛名を処理する時代に向けてラベリングマシーン(宛名貼付け機)を導入しました。
昭和45年 4 月 
自動封入機導入
メーリングサービス業が、労働集約型産業からの装置産業への移行を模索していた時代、業界に先行して導入しました。
昭和46年 7 月 
株式会社へ移行
株式会社東京メールとする。渋谷区富ヶ谷に本社移転。
昭和47年 4 月 
志木工場操業開始
自動封入機での処理を中心に急速に増える処理通数に対応する体制の基礎を固め始めました。
昭和55年10月 
NEC製コンピューター導入
当時はまだカタカナ表記しか出来ないコンピューターでした。そんな時代にいち早く導入しました。
昭和58年 4 月 
浦和センター操業開始
処理通数が増える一方で、多様化する顧客ニーズに対応すべく長年の専業者としてのノウハウを生かせる手作業を中心とするセンターとして操業を開始しました。
昭和60年10月 
自動ビニール包装機導入(国産一号機/国産二号機)
業界に先駆けて《フィルム包装》の作業を手掛ける。
平成 9 年10月 
業務センター操業開始
志木工場を移転して業務センターと改称し操業開始。新センター設立のテーマは《セキュリティー&クオリティーアップ》でした。生産性の向上は当然として新時代のメーリングサービス工場を目指しました。
昭和20年以降 
ずっとして来た事、ずっとして行く事
資源社創立を経て東京メール設立、そして今日まで長い時間をお客様と共に過ごして参りました。その間、一貫して取り組んできた事は、お客様の心を理解する努力です。私どもの仕事はお客様とその先にいらしゃるお客様とのコミュニケーションのお手伝いをするという事ですから、まず私どもがお客様の心を理解出来なければ何も伝える事は出来ないと考えています。これからも、ずっとこの考えは変ることはありません。